時代は昭和37年。
主人公の関本源蔵は「富国水産」という大手船会社に勤める機関士である。
ストーリーは新造の大型高速冷凍船「栄進丸」の船出からである。その頃、3等機関士の源蔵は兵庫県に妻子を呼び寄せ3ヶ月の居候生活をしながら出航の日を待っていた。この時、2人の息子たちは6歳と2歳である。
(当時の捕鯨船はこんな感じ・・)
出航すれば半年近くは帰ってこれないのが船乗りの宿命。今回は北洋海域(カムチャッカ半島あたり)でのサケマス漁を行っている船団に合流し、限られた貯蔵能力しか持たない母船の積荷を受け取り、一足早く日本へと運ぶ”中積”と呼ばれる任務を新造船で行う事である。
しかし栄進丸が船団に合流して間もなく、船団を大時化(しけ)が襲う。ここで船団40隻の独航船のうちの2隻が遭難・沈没してしまう。ここで思い出されるのが源蔵の幼少時代、11歳の頃にサイパン島が命からがら引き揚げてきた戦争の記憶である。。
第2次大戦末期の昭和19年、サイパン島で生まれ育った源蔵少年は母と弟とともに引き揚げ船に乗り込む。2隻の船が本土に向かうのだが、同級生の乗ったもう1隻の引揚船が米軍に撃沈させられてしまう。。
そんな記憶が甦りつつ、家族を想い、苦しい海の上での仕事を終え半年ぶりに愛する家族の元へ戻ってゆくのである。。
時は流れて昭和48年。2人の子供も思春期を迎え、なかなか難しい年頃である。長男の秀俊は高校2年生になり、進路を決める大事な時期に差し掛かっている。しかし、なかなかシックリいかないのが父子の仲。ほとんど口も利かなくなり、そんな中、南氷洋の捕鯨船団に乗務することになる。。
(甲板で行う鯨の解体作業)
この乗務には妻の実家の隣人の息子である枝川敏雄も事業員として乗り組むことになった。源蔵が紹介した形となった彼であるが、25歳で大学中退、職をいくつも転々とし人生の目的を見失っている感のある感じの青年である。源蔵は彼を自分の息子と重ね合わせる。
常に斜に構え、心にはあらゆることに対する不満を抱えながら、表面上は黙々と仕事をこなしている。
しかし、ちょっとしたミスによって死亡事故が発生してしまう。家族のいる場所にも帰れず水葬に臥される同僚をみて、敏雄は更にふさぎ込んでしまう。
(捕鯨船団の花形、キャッチャーボート)
「吠える(南緯)40度」、「悲鳴の(南緯)50度」と言われる暴風雨が吹き荒れる南氷洋という漁場にあっては、生きてゆくために誰もが必死である。
「自分は生きるために何をするべきなのか?」という自問に対する答えを探しながら”生きるために”仕事に没頭する。そして物語は、「南氷洋での遭難」というクライマックスへ。。。
今回は長編ながら一気に読み進める事が出来た。遠洋漁業における漁の実態の詳細な描写が非常に興味深く、また、南氷洋での捕鯨に至っては、当時の食糧難の時代の話でもあり、現在の捕鯨禁止運動の流れを考えると隔世の感を禁じ得ない。。
(この本を読んで、まず鯨肉が食べたくなった・・)
物語の骨子は父子の物語である。この手の物語にはどうしても心が揺さぶられてしまう嫌いがあるのだが、それも私自身の生い立ちに関係するのは既知であったりもするのである。
「親が子に背を見せて育てるのではなく、子が親の背中を見て育つ」
といったような言葉がとても印象的な作品であった。
ラベル:書籍(ら行)
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